Twitterをやめた

最悪なjinmenusagi「堕胎堕胎堕胎」

というネタを思いついたが、私はもうTwitterをやっていないのだった。


高校入学したてにできたオタク友達から勧められ、初めてTwitterというSNSに触れた。最初はたどたどしかった文面も、時をすぎれば草が生え、キチガイの顔文字がTLに並んだ。少しひねりのある文章を呟けばそこそこにバズり、遠くのユーザーからくる少し的はずれなリプライを見るのも楽しかった。

私はどちらかというと絵描きやゲーマーリアルの友達と繋がっていたのだが、ネット元来の繋がりの薄さに加え、メンヘラツイッタラー特有のアカウント転生を繰り返し、リアルの友達以上に、フォロワーとの関係は続かなかった。

そこで行き着いたのが、メンヘラ界隈だ。

メンヘラ界隈の皆さんは、ほぼ例外なく何かの薬を飲んでいた。用法容量をきちんと守っている人が、いただろうか…いや、いなかった気がする。私もそのうちの一人だ。
(だが、長年の付き合いで市販薬ODをやめた友人もいる。ぽたくちゃ、ほんとすげえよ)

Twitterを見ると精神が悪くなって行くことには薄々気が付いていた。死にたい、それは私もだから気にならない。だが、それを呟いている人の恵まれた環境などが垣間見えると発狂しそうになるのだ。そんな状況で死にたいなど、よく言えるなと。私ももしかしたら、そう思われていたのかもしれないが。
また、メンヘラ界隈というのは皆がみんな等しくつらさを露呈しているので、他人に見向きできる余裕のある人がいないのだ。たすけて〜と言ったところでリプライが帰ってくるのは奇跡だと思う。

そしてこれは極めつけなのだが、大喜利?界隈の皆さんは私に理解不能な考えや言葉を見せてくれる。もうドン底だ。それでみんなが笑っている?理解できない、私は頭が悪いから理解できず、笑うこともできないのだ。本当に苦しかった。


Twitterを辞めた今はなんとなく軽い気持ちになっている。メンヘラはTwitterをやめたほうがいいですよ。

博士の血

冬に向かうにつれて指がかじかむようになって、気持ちも冷えた空気に蝕まれるようになって、切なさが片付かない季節です。優しさは優しさで片付けられるものではないと思うと、かわいさはかわいさで覆われていないのだと再認識します。

「今日もお薬飲んだ、よし」と記憶の外の私は言っていて、それでいいんだよという声と、そんなに生きるのがつらいのなら、もういっそ死んでしまえという声が、逃げ場を求めて、今すぐ死んでしまいそうです。

 

死んだら嫌だという人ほど、私が死んだら喜ぶのでしょう。関わりが深ければ、深い傷の数が多くなるというのは、当たり前のことなのに…どうしてもそれが、受け入れられない。私が、あなたの嫌いな人から殺され、私だとわからないくらいの、ひどい形にされてしまったら。原型をとどめずおはようという私を、気持ち悪いと避けますね。

 

人が信じられなくてつらいです。甘い言葉をかける人が、必ずしもいい人であると言えない、それはわかっています。しかし、表立って意図的に傷つけられるのは悲しい。ほんとうに、今すぐ死んでしまえたら楽なのに。

 

生産性のある生き方をしてみるという目標を持つならば…そうですね、私はお洋服を作ります。

ペダントリー

昨日書いていたものです。



朝焼けはきっと、ここ数年見ていなくて、光の遮断された室内から出るときの世界の変わりように、顔を顰めるくらいだった。
秋晴れが眩しい。今日は少し動けたので、メンタルクリニックに行き、薬を変えてもらった。やはり天気の良い日に外に出られるのは嬉しい。カーテンの隙間から真っ白な光が注いでいるのを、ベッドに寝たまま眺めているのは、寂しいものがある。

ベッドの周りは、いつも物が散乱している。お菓子の殻や脱ぎっぱなしの下着、ボディークリーム、読みかけの本………ストロングゼロの缶などであれば、幾分か情緒がかさ増しされたのかもしれない。自分の中途半端が作り出されたようで、悲しくなった。
長い間、自分のダメさ加減に、辟易している。定期的にくる気分の落ち込みは、毎回私に自殺を促す。しかし結局、人に救われて、救われているのか、自殺は遂行できない。
天井にいる月型の電灯が、鼓動に合わせて満ち欠けする。結局自死を決められない私を嘲笑うかのようだ。




と、書いてありましたが、大丈夫です。

春はいつでも陰鬱とした空気を孕んでいる。
春。春といえば、通っていた高校の通学路に咲いていた桜を思い出す。あの桜を4年間毎年同じ時期に見ていたのだから、忘れるわけがない。
思い出は幾らか誇張して記憶に残るものだとしても、あの桜は充分に美しかった。

皆より少し遅れて登校したときの、誰もいない校舎前…自転車で春の清涼な風を切り、校門前にいつも立っている先生に、今日も叱られるんだろうなあ、と思いながら、それでも足元にピンクの水溜りができていると見惚れずにはいられなかった。
美しい景色は人を浮かれさせる。小鳥の声を聞いて、桜たちも楽しげだったような気がする。

部活から帰るときにはもう夕焼けで空がオレンジ色になっている頃だったので、桜の柔らかい色彩は霞んでしまい、印象にもあまり残っていない。やはりあの、青空の下の桜が良い。ほのぼのとして澄んだ空気が映える、そして少し陰鬱な春。


清少納言の真似事をしてしまいました。そろそろ寝ようと思います。これから秋が来ますが、私は秋も好きなので楽しみです。とりあえず、エレベーターの中に先客がひっそりと忍び込んでいるというようなドッキリイベントは起こらないと思いますので…

moldy

あ〜、幸せだなあ、コデインを摂っていないのに多幸感が羊水のように私を包む。最近飲みすぎたかな?いや、きっと連休の開放感に包まれているだけだ、私って幸せなんだなあ。こうやって多幸感に出逢うときは。好きなチルいヒップホップ聴いて、上半身をベッドに預けているだけで、かなり幸せだ。

今日はメンクリに行ったが、担当医がいなかった為、代理の先生に診てもらった。自殺企図のことを話すと、取ってつけたように眉間にシワを寄せて私の顔を覗き込むものだから、おいおいウソだろ、と思ってしまった。そうすることを強いられている日常を抱える人たち、そういうもので回っているのかな。

とにかく今は薬なしで無敵になれている。いつもの恐怖や不安は感じない。自分は生きている価値がないと感じる様々な材料に頭を支配されなくて良い。ありがとう橋口。だらだらいぇ〜

天気の子、感想

天気の子、見てきました。新海誠監督の作品は2回目で、君の名はがあまり好きでなかったのでそこまで期待していなかったのですが、良かった。

物語は置いておき、まず何が言いたいかというと、凪くんが可愛かったです。凪くんっていうのはヒロインの弟なのですが、お姉ちゃん大好きな男子小学生。
ここまでお姉ちゃんが大好きなのは設定がわかると頷けるのですが、それにしてもkawaii
とてつもなくいい子です。私のこともお姉ちゃんって呼んでほしい。
今死んだら凪くんの通ってる学校の同級生になれるかな。美少女に生まれたら囲いになれるんだろうか。おかっぱ美少年はどう考えてもしんどいです。いい匂いしそう。お姉ちゃんと一緒のシャンプー使ってそう。どれだけいい女と付き合っても一番はお姉ちゃんなんだろうな〜と思うとたまりませんね。

これからの凪くんの成長に期待せずにいられません。皆さんも天気の子を見て凪くんを応援しよう

生まれてきたことが間違いだった、と何度繰り返せば気が済むのだろう。毎回間違いを繰り返して、生きている罪を重ねて、何も改善しないで、時間だけが過ぎていく。誰にも本当の意味では望まれていない、昔から見た目も中身も全て駄目で、自分なりに努力しても否定されるのは、頑張りが足りないからだよね。本当に、なんでこんなに駄目人間なんだろう。どうして何も改善しないんだろう。早く死ねばよかった。私は去年の12月に死ぬはずだった。奨学金の返済額だって、死ぬつもりで必死に貯めた。でも怠慢が私の寿命を伸ばした。本当は死ぬ気なんてなかった、臆病者なんじゃないだろうか。いや、そうだ。何一つ変わってない。許してください、次は成功させます。私は今まで迷惑をかけた人たちにお金を返したらその後は死にます。次は本当です。きちんとケジメはつけます。許してください。もう誰にも迷惑をかけないために、害でしかない私は命を絶ちます。今まで生きてきてごめんなさい。あと少し生きることを許してください。