生理二日目

ボダの上にPMSとうつ持ちの私は、人を苛つかせてばかりだ。
正直言うと自分が一番つらい。生理の一般的な症状に加え、酷い気分の波が来て毎回自殺未遂や自傷行為を繰り返している。今も手や周りが血まみれだ。
でもそんなことを知ってしまった周囲の人もつらいのだ。ごめんなさい。今も大きなゴキブリが移動する音が聞こえる。
そんな中私は決意した。治るまで誰とも会わなければいい。治療までは少なくとも一ヶ月はかかるだろう。うまく行かなければ2ヶ月。そういった方向で進めていこうと思う。そうすれば周囲の人の脳が占めているくだらない私のスペースなんて無いに等しくなる。どうぞその間、私がいてできなかったことがある人は、自由を楽しんでください。切なる願いです。
治療が済んだら、やりたいことがたくさんあるなあ。それもできずに結局死んでいくんだろうなあ。私みたいなゴミにとって、当然のことでありますが

ゴキブリがうるさいので寝ます
本当は誰かに助けてほしかった。でもそんなこと現実に起こり得ないから、とりあえず眠ります

アタラクシアへの到達

なぜ、なぜ、なぜ、私はこんなにも苦しいのか。

郵便局まで出向いた私は、行きも帰りも統合失調気質を心の内で極めていた。こちらを向いている車が怖い、こちらに向かってくる人間が怖い、きっと出来損ないの自分を見ている、私が出来損ないだから…
特定の誰かに打ち明けることもできず、ただ苦しさを渦巻かせている弱い人間。短い文章でしか綴れない根性なしの人間。今日もわがままでみじめだ。醜く不格好、サラダが泣いている。もう何も考えず昏睡してしまいたい。誰か、睡眠薬をください。

ラヴェルの鏡を聴きながら午前7時、いつもと同じ、横たわる冬の朝だ。あ、今韻を踏みましたね?見てください…

脳内では白魚のゲシュタルト崩壊が起こっている。シラウオ、なんて美しい響き。シラウオが何なのか、厳密にはわかっていない私の頭蓋骨にはわたあめが詰まっている。だが、大丈夫。何も問題ない。

誰が為にうさぎは踊る?踊ったうさぎの行く先はあの水晶丘のてっぺんだ。丘は歩くと音が鳴り、星が散るらしい。頂上には穴が空いており、そこから白魚のいる海へ流れ着く、深い深い水たまりへと飛び込む。うさぎは、くまからそう伝えられていた。
くまの貪る苹果を見つめながら、うさぎは何故という問いを聞けずにいた。いや、聞いてはいけなかったのだ。苹果は消えない苹果であり、齧ったところから直ぐに再生がはじまる。これが世界の真実なのだなあと、うさぎは思った。

水晶丘に来るのは初めてだったが、小さい頃に聞いたとおりの、まさに水晶であった。透明なゼリー様の細かな粒は、何らかの燈火をたずさえながら、一つ一つが懸命に光っていた。この素晴らしい宝石の山を踏んで歩かねばならないと思うと、うさぎは今にも泣き出しそうだった。
涙をのんで、うさぎは一歩を踏み出した。星が散り、粒たちが泣いた。音というのは、この踏まれたときの鳴き声だったのだ。うさぎはとうとう泣き出してしまった。ぽろぽろと優しい涙が、優しい眼から溢れる。溢れた涙が頬の上で舞い、水晶丘に落ちた。
すると、水晶たちは一斉に呼吸を整え、散り散りになって海へと溶けだした。脚元が崩れ落ちていく。暖かな残り火が、脚から頭までをたちまちに包んでいった。ああ、ここが帰る場所だったんだね、とうさぎは喜んで、水晶と海とひとつになっていった。

共同■□論

私は勉強ができない。馬鹿だから。理解力がない上に努力だって普通にできたことが一度も無い。
聡明だと誰かが言った、頭がいいと誰かが言った。それは私の妄想の中の出来事で、実際出来ることなんて何一つない。私は馬鹿だ。
馬鹿な上にまともに働くこともできない。世界から見ても社会不適合っぷりが鼻につくんだろう。私は望まれていない。望まれていないなら好きなことをするだけなのに、どうしてできなかった高校の勉強を今なぞっているのだろう。
多分、私は出来るって思いたいのだ。表向きは何も出来ないという態度を続け、何か成果を出したいのだろう。そうやって無駄に足掻き続けて何か良いことがあったかというと、特に無かったような気がする。この言い訳も開き直りだ。駄目人間加減に拍車がかかる。そんな駄目人間を脱しようと、私は今日も容量の無い頭に知識を詰め込む。

蝶々の対比

百年の粘膜接触により完全に一体となった私達、細胞が一つになるまで幾度も交わり、遂にその最終形態まで辿り着いた。
『いつまでも、一緒にいようね』
甘い頃に交わした約束は永遠となった。もう、二人を邪魔するものなどいないのだ。何故なら、二人は一つなのだから。
互いの欠損も混じり合い平均的な美しさとなり得た。遺伝子が全く同じ構造をしている思うと、半透明の子宮から熱のようなエネルギーが暴発する。精子は蒸発し、私達の誕生を喜んでいるようだ。
呼吸は生命を育む。その生命とは、幸福という概念なのだ。世紀末の最大幸福を手に入れた私達は、今日も脳内で愛を交わす。